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■地雷書籍の対人地雷としての能力
CAPABILITY OF BOOK MINES AS ANTI-PERSONNEL LAND MINES

■対人地雷禁止条約
 対人地雷とは生身の人間そのものに対する殺傷を目的とした、地中、地表等に設置される地雷である。
 一般的に対人地雷はその効果をより高める為に、攻撃対象を殺さない程度の威力に留められている。戦場に於いて戦死した兵士の死体は放置して構わないが、負傷した兵士は保護後送し治療を行い、また障碍を負ったのであれば死亡するまでの生活保護を負担しなければならない。つまり対人地雷の最終的な攻撃対象は、生身の人間ではなく敵国家基盤そのものと言える。
 対人地雷は廉価であるという特長もあり、特に国力の乏しい国家の戦争において、相手国の生産力を低下させるという目的で多用される傾向が強い。総力戦である以上は相手国の生産力を低下させない限りは戦争終結が困難であり、なおかつ都市や生産設備に対する爆撃といった手段を用いるには十分な国力が必要不可欠だからである。
 しかし対人地雷には、核生物化学兵器を使用した場合と同様の問題がある。それは戦争終結後にも効果を発揮し続け、その効果を排除するのが困難であるという問題であり、その意味で対人地雷は核生物化学兵器と同様に、大量破壊兵器であると言える。
 多用するのが主に国力の乏しい国家である事が更に事態を悲劇的とする。元々乏しい国力が戦争によって更に低下しているにも関わらず、大量に敷設された対人地雷によって戦争終結後も国力の回復が困難となり、戦争中と同等の困窮を発生させる。そしてその困窮は新たな戦争を発生させ、新たな対人地雷が使用されるという悪循環を発生させる。
 従って核生物化学兵器と同様に対人地雷に対しても、国際的な枠組に於いて規制を行おうというのは、極めて自然な流れであると言えるだろう。
 我が国でもこの対人地雷を禁止するオタワ条約に1997年12月3日に調印、1998年7月30日批准した。これに伴い我が国は対人地雷の製造、使用、保持が不可能となった。
 しかし我が国の基本戦略は専守防衛――水際防衛と上陸後の敵戦力漸減が主幹であり、この内で敵戦力漸減には対人地雷は重要な役割を有していた。したがって冷戦後も極東の緊張が緩和されていない以上は、対人地雷代替兵器の実用化は焦眉の急と言える。

■解の一つとしての地雷本
 ここで対人地雷代替兵器に求められる性能をまとめると、まず生身の人間をそのものを攻撃対象とし、対象を殺さずに長期間の戦闘不能とする効果を持つこと。比較的廉価である事。そして何よりも戦争終結後に容易に除去が可能である事などが挙げられる。
 多種多様な代替兵器案の一つに、読者に対して大きな精神的被害を与える書籍小説――所謂地雷本を対人地雷代替兵器として使用するという案が存在する。
 地雷本を対人地雷として敷設した場合、前線兵士は娯楽に飢えているが故にこれを自ら手に取る事が期待出来、そしてその兵士は肉体面ではなく精神面に対して大きな被害を受ける。つまり直接的な肉体への殺傷能力は無いものの、意識レベルや集中力の低下、無気力化等といった兵士としての能力に対する十分な打撃を与える事が期待出来るのである。
 更に一般的に精神汚染は伝染性を持つ事が多く、それはこの地雷本による被害も同様である。つまり直接被害を受けた兵士のみならず、その周囲の兵士やその兵士の治療に当たる軍医や看護兵に対しての二次被害、三次被害を期待出来る。従ってその効果は敵軍のモラルの崩壊という形で、対人地雷の代替兵器としての十分な威力を持つと言える。
 また戦争終結後の除去に関しても構成素材が紙である事から、積極的な除去等を行わなくとも短期間で分解され無害化される。従って戦争直後の国力低下等による混乱期においても自動的に無害化され、戦争後の被害という問題を発生し辛くなる。
 また廉価さに関しても、書籍形態を採るが故に廉価克つ量産性に優れていると言う事が出来る。

■地雷本の問題点
 対人地雷代替兵器としての地雷本には多くの利点が存在するものの、現時点での実戦投入には解決すべき問題点は少なくない。
 諸問題の多くは構成素材が紙であるという点に起因する。容易に無害化されるという点は戦争終結後の除去に関する問題を解決する一方で、戦争中の想定しない状況下に於いて無害化されるという危険を孕んでいる。紙は、水に弱すぎるのである。
 降水等によって容易に無害化されてしまうが故に一定以上の降水量が想定される戦場での使用は困難となる。また水の豊富な戦場に於いては、敵軍が水を大量に使用し地雷本による対人地雷原の短時間での啓開という事態をも想定出来る。
 これは水資源の豊富な我が国及びその周辺という、自国防衛という国家戦略における主戦場では、地雷本の効果が著しく制約されるという事を意味している。現時点で地雷本を対人地雷として使用出来る戦場は、降水量が極端に少なく水資源の乏しい乾燥地帯に限定されるのである。
 もし紙に耐水加工を行ったり耐水素材を行った場合にはこの限りではないが、除去が困難となる為に従来の対人地雷と同様に戦後の災禍という問題が発生してしまう。
 耐水性の獲得と容易な除去性を並立させる為には、一定期間で耐水性が自動的に失われる素材や、水以外の薬剤による容易な無力化が可能な素材が必要となろう。ただしこれらの特殊加工や特殊素材、無力化薬剤自体が環境汚染を発生させるのであれば、やはり戦後の災禍という問題は発生してしまう。

 また地雷本が文章による書籍であるという事は他の問題点も発生させる。文章である以上は、敵兵士が読めなければ意味が無いのである。
 まず敵兵士が使用する言語への翻訳が必要となるが、翻訳作業においてこれを行う人間が地雷本の被害を受ける危険性がある。また別言語への翻訳は文意の喪失を引き起こしやすく、翻訳によって無害化してしまう可能性も否定出来ない。
 何よりも問題となるのは敵兵士の言語と識字率である。日本は単一言語国家であり、克つ識字率が著しく高い為に意識する事は少ないが、ある国の兵士全てが特定の言語を読解出来る事は決して多くない。
 軍隊は多くの国においてマイノリティが栄達する為の有効な手段であり、従って少数言語を母語とする少数民族や、多国語を母語とする移民等が占める比率は特にその前線兵士に置いてはかなり高い。
 また近年では低威力度紛争等に対処する為に、正規軍に対する傭兵の比率が極端に高くなる傾向がある。指揮官や司令部要員、後方支援部隊のみが正規軍で構成され、前線兵士は全て傭兵という事すらあり得るのである。もちろん傭兵である以上は部隊単位で言語が異なっている可能性が高く、一つの敵国に対処する為に複数言語の地雷本を使用する必要が出てくる。
 また傭兵である以上は戦闘毎に異なる言語を基幹とする部隊を展開するといった事も可能となり、文章である事が有効性を下げるという問題が起きるだろう。
 ただしこれを逆用し、上級士官に関しては言語は特定出来る為に、これによって敵上級士官のみを狙い撃つといった使用方法も可能と言える。



 現時点で地雷本を対人地雷代替兵器として実戦投入しようとした場合、投入出来る戦場は著しく限定される。戦場におけるその時期の降水量が皆無に等しい、敵兵士の識字率が高い、等の全ての条件を満たしている必要性があるからである。
 しかし専守防衛を旨とする我が国の防衛指針を考えた場合、敵上陸地点とその周囲に対する対人地雷の敷設は、敵上陸兵力を削るという点で必要不可欠となる。そして従来型の対人地雷の使用が禁止されている以上は、否応なく地雷本やその他、対人地雷代替手段の早期実用化が必要となる。
 幸いにも我が国には高度な先端素材技術と製紙製本技術がある。従って我が国における専守防衛戦争での使用を想定した人地雷代替兵器としての地雷本の実用化への道は、さほど暗くは無いと言えるだろう。
 更に言えば地雷本の本質が情報であるという事は、従来の対人地雷の枠を超えた使用も想定出来る。例えば敵の使用する情報ネットワークに対して地雷本を流布するといった使用方法である。これは従来の対人地雷やその他の兵器には不可能な使用方法と言える。
 将来の戦場に於いて地雷本が確固たる地位を確立していても、其れは何ら意外な事ではないのである。