堀井さん
堀井雄二氏。『ドラゴンクエスト』で知られるゲームデザイナー。
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わたしはミステリー作家ではない。日本推理作家協会に所属はしているが。
SF作家でもない。日本SF作家クラブに所属はしているが。
児童文学作家でもないし、そーなりたいとも思わない。児童向けを意識したことがなくはないが(だって堀井さんが小学生だって読むんだからって言うんだもの)、わたしの想定した児童は小学五年生以上だ。意味のわからない単語があったら辞典を引いて理解してくれ。わたしはコドモダマシイの持ち主であることを自覚し大切にしたいとおもっているから、コドモだからといってナメられるのは不愉快だ。コドモ向けにナメて舗装して牙を抜いて滅菌したものなんか大嫌いだ。そんなものはぜったいに書かない。
恋愛小説家でもないし、官能小説家でもないし、なんとか賞作家でもないしなぁ。
あえていえば、ファンタジー書きかなぁ……ファンタジー……幻想、というコトバは非常に大きな範囲のものを含みますからね。でも、これ言うと、まず百人のうち九十五人ぐらいは、『ロードオブザリング』(原語ではリングス、と複数なんですけど……なんでスを抜いたの? ひょっとして映画の観客のこと、ナメてない?)か、『ハリポタ』みたいなもののことだろう、と誤解するに違いない。そして、それにしちゃ聞いたことないな、と思うに違いない。
まいったなぁ。
もう一度、あらためてゆっとくが、わたしはぜったいに“ライトノベル”は書いていないぞ。
原稿受取日 2004.4.25
公開日 2004.5.28
《 追記 》
旧友妹尾ゆふ子さまより、「ライトノベルという名称をつけたひとは特定できてしまうのですが、どうか責めないであげてください、なぜなら……」というメールを頂戴したのが、先週の土曜日、5月22日。運悪く三日ほど不在にする直前だったので、対応が遅れましたし、ずいぶん考えこみ、迷いました。特に、
>、問題は(この呼び名を・くみ註)「誰がつくったか」でなく、「それが受け入れられた」ということの方でしょう。このすみやかな需要を、わたしはこう考えています――読者は「ライトノベル」という言葉で端的にあらわせるものを求めていたのだ、と。 つまり、端倪すべからざる数の読者が、「かるい読み物」を求めている、ってことです。
の部分。
(註・上の表記は、妹尾さんからちょうだいした最初のメール文面に準拠しています。公開をお願いしてから、それを前提に改稿していただいたため、発表されたものとは異なっている可能性があります)
なるほど、それはまったくその通りだ! ……と強く思いました。
はたまた「創世記」感想スレッドで、いろいろなお立場のかたから、いろいろなご意見・ご感想をいただいて、わたしの足場もグラグラしてきています。
そもそも、この自分は果たしてじゅうぶんにモノを考えているのだろうか? 単に勝手に感じたままのことやウロオボエなことを口にしているだけなのではないだろうか? ……と、はなはだ自信もなくなってきました。
いったいどうすればいいか、あれこれ考えました。迷いました。
コラムの続きは全部見直し、徹底的に書き直したほうがいいのではないか、少なくともこの回以降の原稿は全ボツにしたほうがいいのではないか、なども考えました。
しかし……結局、原則そのままで公開に踏み切ることにいたしました。
この判断をした最大の理由は、スレッドで既に、予告といいますか、そのうち『“ライトノベル”ってなんなのさ?』という文章を発表します、などと申し上げてしまっていたから、です。
やるよといったのにやらずに引っ込めるのは卑怯なのではないか、「書いてあるならみせろー!」といわれるのではないかと思ったからです。
もうひとつ、シゴトのほうの原稿のシメキリがそろそろほんとうに近づいてきてもおり、なんの因果か持病の頚部椎間板ヘルニア(おもに右肩から右手にかけてが痛くなったり痺れて動かなくなったりします)の状態が急に悪くなってしまって、こうなるとキーボードを打てば打つほどツライので、できるだけ負担を軽くしたい、といういたってプライベートな理由もあります。せっかくにぎやかになってきたところからシッポまいて逃げるみたいなのはイヤなんですが……あんまり楽しくコッチにいれこんでると業務および日常生活に支障を来たしてしまいそう! なのです。
改めて、ご理解いただきたいことが二点あります。
一点は、なにしろこのコラム原稿は短期間(およそ一ヶ月間)にダーッとイッキに書いてしまったものだということ。最終回提出が5月5日です。
よって、コラムのほとんどの部分が、実際に“ライトノベル”と呼ばれているものを主として書いておられる作家のかたがた、あるいは“ライトノベル”についていろいろな意見のあるかたと、スレッド上とはいえ、活発に会話をする「以前」に書かれたものです。そのかたがたの大半とはこうして(オンライン上とはいえ)交流をもつ「以前」には、ほぼまったく面識がありませんでした。
ですから、コラム本文には、具体的な何かあるいはどなたかのご発言を「踏まえてから」の発言はほとんどありません。また特定のどなたかを傷つける意図は毛頭ありませんでした。その点は、どうか、誤解なさらないでください。
もう一点。既にご承知のような数多の勘違い・早合点に、このところワタシはすっかりショゲております。なのに、この回などでは実にエラソーに、やたらに堂々と、なんらテライもなくモノを言っております(泣)。その口調は、いまのわたしの心境からは程遠いものになっています。
同じことを申しあげるにも、ひとさまのお耳に優しい言い方はいくらでもあるものなのにあまりにも配慮がない、と反省しておりますが、もともと、わたしは草三井こと「さか○だいすけ」さんと白翁さん、ほぼこのおふたりのみを仮想読者として、彼らにウケたい一心でコラムを書いてしまっておりました。あまつさえ、回を重ねるにしたがって次第にエキサイトし、ワガママになり、どんどん増長しました。
正直いって、まさかこんなにおおぜいのかたに真剣にかつ細心に読んでいただけるものになろうとは、想定もしておりませんでした。
わたくしめは自家製サイトを約一年間公開しておりますが、そちらはBBSを作っていないためか、ほんわかのんびり、あくまでウチワで遊んでいるぬるま湯のような環境です。カウンターもつけておりませんから(そうでなくても部数とか預金残高とか数字に追われる生活なので、スキでやっているものぐらい、数字から解放されたかったのです)いったいどの程度のかたが読みにきてくださっているのかも存じませんが、しょっちゅう読んでくださるかたは、そんなには多くはないと思います。
よって、サイト上で公開を前提とする、ということに対して、いまひとつ危機感がなかったというか、ピンと来ていなかったというか、覚悟が座っておりませんでした。なにしろロハの原稿でもあり、ほぼ、個人メールの延長のような気分で言いたい放題、書きなぐる快感に任せて書いてしまっておりました。
その態度は間違っていた、あまりにも無防備だった、と、いまとなっては思います。
しかし、それゆえにこそ、スルリと漏らしてしまったホンネもあり。
もしこのコラムにも多少の「よさ」があるとするなら、……そのずーずーしいまでののびやかさと、それゆえにみなさまがたの自由な思考のタタキダイになったということではないでしょうか。
ひどい言訳にしか見えないだろうなぁと思いつつ、この点についても、ご配慮をいただいた上で、お読みいただければと思います。
言訳のついでに申しますが、この生まれながらのイノセンス(←自分で自分をこういってしまうあたりがゴウマンですが)もまた、スレに既に書いた恐ろしい血のなせるワザではないかと。
わたくしめが盛岡で高校生をやっていたある日、祖父はNHKローカル局のニュースかなにかに呼ばれました。(売れない)画家であるのみならず、俳人で文筆家で農業史研究家で馬術家もあったんです、うちのジーチャン。そう自称しておりました。“ちゃぐちゃぐ馬コ”のお祭りの戦後の再開にも貢献したと自分では言っておりまして(ほんとかどうか知りませんが、お祭りの正史におもてだっては名前が出てきていないことは確かです。ただコネや影響力は少しはあったひとなので……陰働きはしたのかもしれません。マゴとしてはそう信じたいです)、たしかこの時もそれゆえに呼ばれたんじゃないかと思います。
そこで、ジーチャン、口をあけるや
「いやぁ、ウマに乗るってえのは実に気持ちのいいもので、若い頃なんか、すぐにボッキしちゃって、まいりましたね!」
とニッコニコ笑いながら言い放っちゃって、気の毒なアナウンサーさんを絶句させてました。
翌日、クラスの男子が
「きのうは驚いたなぁ。まさかNHKであの単語を聞くとは」
「あンぐらいの年寄りになると、なに言っても許されるんだな」
などとコソコソ語りあっているのをヨコミミで聞きながら、ううう、あれ、わたしの大好きなウチのジーチャンなんだよぉ! と自慢したいようなしたらものすごくマズイような、ドキドキもので、ウッカリ口を開かないようにクチビルかんで黙っていたわたしでした。いまだったら間違いなく大喜びで自慢しちゃいますが、なにしろ当時の女子高校生はボッキなどという単語はその意味を正確に理解しているというだけでも、あってはならない、恥ずかしい、イケナイことだったのです。
こんなやつですが……コラム残りもあとわずかになってまいりましたが……すべての失敗とアサハカさを、どうか、優しくあたたかな目で見守ってやっていただけますよう、みなさまがたのご理解ご寛恕ご愛顧を深く願ってやみません。
原稿受取日 2004.5.25
公開日 2004.5.29
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