創 世 記
第9回  「いまはもういないあのひとのこと」



 ババアの繰言がいったりきたりするのはこれはもう脳みそがそういうふうにしか動かないのでご寛恕くださいませねみなさま。
 先般書き連ねましたところの文章は、なんだかどんどこ増えていく読者のかたがたに対する対応にわたしが必死になり知恵をしぼりとうとうへこたれて撤退していくに至るサマなんてものを描いて、もしかすると一部のひとを不愉快にさせてしまったかもしれないことをお詫びします。ちなみに「まぁ! あのころのわたしの行動が、まさかくみさまをそんなにも苦しめていたなんて!」……と、ここで敏感に思うようなひとにかぎって、ぜんぜんまったく問題ない、わたしを困らせるようなことはけっしてなさってない、ただただありがたかっただけだ、ということはキッパリ断言できます。「じぶんだけは違うだろう、だってじぶんは悪気なかったし、別に対して迷惑かけるようなこととか悪いこととかしてないもん」と思うヤツにかぎって、ええやってます。おもいきりやってます。失礼で強欲でひとの立場とかなんにも考えないようなことを。
 ひとの忠告やさりげないイヤミや皮肉のたぐいにキクミミまるでもたない鈍感なやつに限って、自分は無実だ、無辜だ、無謬だ! ……となぜか根拠レスにかたくなに信じていることができる頑強な心臓をお持ちなのがこの世の真実。ですよね、みなさん?

 実際のところ、大半の読者のかたがたは、ほんとにありがたい、かけがえのないかたがただったのですが、一部の「特殊」で「凶悪」なタイプがみょーにめだって気にさわるってことってあるじゃないですか。けしてそういうタイプが全体の「代表」であるはずはないと理性ではわかっていても、つい、坊主にくけりゃ袈裟までになるというか、「それ」をさせるには、全体を遠ざけるほかに方法がないのよ! みたいな。

 そもそも、ファンレターを送ってくれる層、アンケートに答えてくれる層というのは、「読者全体」の正確なサンプルにはなりえないのです(よそでも書いたことですが……たとえば、アンケートを送るとコレコレをプレゼントします! というプレゼントの「質」がそのアンケートを返送してくれるひとのタイプを限定します。ルイ・ヴィトンのなんとかをあげますよー、といえば、ルイ・ヴィトンのなんとかをほしがるようなひとが主にアンケートを返し、特定小説の特定キャラの特製非売品フィギュアをあげますよー、といえば、それをほしがるひとが主にアンケートを返す。そういうこと。プレゼントの設定によって、アンケート結果が「そのプレゼントに反応するタイプの読者にウケる」種類の作品を描くひとの順位をあげることは、火を見るよりもあきらかですね)。最近はネットでサイトをひらいてる作家なんかもいて、直接メールとかもわりかし気軽に打てるから、またちょっと事情が違うかもしれないけど、当時は、わざわざ作家に「お手紙を書く」というのは、かなり意志の力がいるというか、勇気がいるというか、へたすると「ずうずうしくないとできない」ことだったりしたわけね。













平井和正
作家。『8マン』『幻魔大戦シリーズ』等で大ヒット。犬神明は『狼の紋章』などウルフガイシリーズの主人公。

 かくいうわたし自身、幼稚園年少組の時にはやくも『オオカミ少年ケン』の番組を作ってるオジサンあてに、番組の時間がかわってじぶんがもう寝なきゃいけない時間になってしまって悲しいからもとにもどしてください、と、幼いファン意識まるだしのワガママの極地みたいなお手紙をだして(いかにもこどもっぽいジキヒツで。もちろん宛名書きなどはハハオヤにやってもらったけど)「いつもケンを応援してくれてありがとう、イネコちゃんの気持ちはケンにつたえておくからね」とお返事をもらい、モリナガ(←スポンサー)のケンのシールとかなんとかの「非売品」グッズをやまほどもらって、すっかり味をしめた、という筋金入りのヲタだったり、13歳の時には、少年のほうの犬神明に熱烈に恋をしたと思い込んで、平井和正先生におもいのタケをぶちまけるお手紙をおくって「13歳の女の子はこんな本をよんじゃいけません」とお叱りのお返事をいただいてますますMな気分が盛り上がってしまったというヘンタイな経験などもこれあり、ひとさまを責める資格なんかまるでまったく皆無なんでございますが、それでも、「やるほう」と「やられるほう」では、そのことに対する意識の質がまったく違うということはこれは両方味わわないとなかなか「ズブリ」と胸にしみてはわからないものなのですね。

 さてコバルトです。初期コバルトのわたくしめの作品を、発行順に並べてみました。88のAからJまでです。
 タイトルはさるこることながら……表紙をごらんください。
 このへんのどっかで、小説ジュニアは永遠に休刊し、季刊コバルトになり、やがて隔月刊行のコバルトになりました。編集部も、「小説ジュニア編集部」から「コバルト編集部」になりました。ゆえに、以後、あきらかに小ジュじゃないものについては、文庫・雑誌の区別なく「コバルト」といいます。

 本日はある件に関して、貴重な歴史的証言(じぶんでいうか)をしたいと思います。



新井苑子
イラストレーター。華やかで緻密な画風が高く評価されている。電通賞、朝日広告賞で金賞。日本広告主協会優秀賞等受賞。



オズの魔法使い
著 ライマン・フランク・ボーム
Lyman Frank Baum
1974年からハヤカワ文庫で刊行された、子どもたちから大絶賛されているシリーズ。

1・最初の『宿なしミウ』の時、「イラストレイターは誰がいいですか?」ときかれたので、まよわず、新井苑子先生! と答えました。ちなみにこのおかたさまは、あの『オズの魔法使い』シリーズの表紙をご担当なさったかたです。ハヤカワ文庫で。コバルト編集部は正直、イイカオしませんでした。「なんだかおとなっぽすぎないか?」とおっしゃるのです。
 でも、強引にお願いした結果、この美しい表紙を、わが生涯の最初の一冊に賜れたことを、わたしはほんとうにほんとうに嬉しく思います。
 ちなみに、コバルト文庫は作家ごとに背表紙の色をきめてくれるのですが、何色がいいか、といわれて、わたしは、当時いちばん好きだったマリー・クワントのマニキュアをもっていって「コレ」といいました。それは、金魚のウロコのような色の微妙に光る赤でした。
「勘弁して」担当はいいました。「金混ぜはコストが高いの。ムリ」
「じゃ、せめて、可能なかぎりこれに近い色を」
 あとで思うと、金赤は中国のおフダに使うぐらいで「財産運」バツグンの選択でした。しかも、すっげぇめだったし(笑)氷室さんが静謐なまでのピンクだったのと、好対照なわたしでした。

峯村良子
イラストレーター。三愛宣伝部に勤務後、フリーのイラストレーターとして子どもの本を中心に幅広い分野で活躍。



(C)集英社 1984
『抱いて、アンフィニ』
著 久美沙織

2・二冊目と三冊目は、峯村良子先生です。実は小説ジュニアのほうの短編デビュー作の時にも、峯村さんをつけていただいたのです。「こいつの文体には、このポップで明るい感じ」と編集部が思ってくださったのでしょう。そのご判断にはわたしも異論はありませんでした。ちなみに8冊めの『抱いて、アンフィニ』(←実はこれじぶんでいうのはなんですが傑作です)の時にもう一度峯村さんが描いてくださっておられますが、あきらかに内容に即して意識的に絵柄を変えてくださっておられるのがよくわかりますね。
 峯村さんにわたしが「もんく」があったとしたら、それは「独占できなかった」ことです。他の方……たとえば、あの氷室さんのお作品にも! 峯村さんはイラストをお描きになっておられた。

 ここで問題です。
 小学生の頃から親に隠れてマンガを読むことに熱中し、幼稚園の頃からひそかにヲタの芽をつちかってきた血中ヲタ度致死レベルの人間にとって、「内容」と「絵柄」の一致は、どのぐらい大切なものでしょうか?
 こたえ。……ものすごくものすごくものすごく大切!
 そのわたしにとって……表紙および挿絵問題は、おのがヲタの血にかけて、早急に解決しなければならない重大問題でした。

 あえてどなたとは申しません。ここに並べたうち言及しなかったイラストについて、わたしは「……違う……」と思ってしまいました。「こういう絵はわたしらしくない」……わたしの、わたしだけの、わたしらしい表紙がほしい! わたしは熱望するようになりました。








風見順
翻訳家。『世界SFパロディ傑作選』(講談社文庫)など多数。

 さて、『ガラスのスニーカー』が小説ジュニアに二ヶ月かけて半分ずつながら「一挙掲載」されたことで、よーーーやく、わたしも、「幕下」ぐらいのセキトリになったかもしれないような気がしてきました。編集部のほうでも、多少はわたしの希望とか願いとかそういうものを聞いてくれるようになってきました。
 それまでは……いまはすっかり講談社のほうにいってしまった風見順さんと(←当時彼は富士通のまわしもののようにOASYSを布教しまくっていて、シモキタの我が家にもきて設定を手伝ってくださった上、確定申告のやりかたとか、国民年金をはらわないとどういうことになるのかとか、そーいった「社会人としての知恵」をいっぱいいっぱい伝授してくださいました。ほんとうにありがたかったです。おかげで、一生、親指シフトがないと生きていけないモノカキになってしまいましたが)モトコの新作が一週間ではやくも増刷がかかったときいては、「いいなぁ」「ゾーサツってあたしまだいっかいもない……」「オレもないんだ」「いいよねぇ……だってゾーサツって、ゲンコウ、一字もかかなくても、銀行にフリコミがはいるんだよねぇ」「いいよねぇ」「いつかはゾーサツのかかるような作家になりたいねぇ」と悲しみのまなざしをかわしあい、溜息をつきあっていたものでした。
 いったいいつはじめてのゾーサツを経験したのだったか、はっきり記憶はしておりませんでしたが、「これが著作権生活者というやつなんだ!」と思ったのは覚えております。
 ゾーサツのかかんない作家は、ようするにひたすらこぎつづけないと坂道をころげおちていく自転車操業ですから。
 書く小説書く小説次々に毎月ゾーサツがかかってたら、税務署のほうを心配することはあっても、家賃とか光熱費とかを心配する必要はありませんから。






『漫画ブリッコ』
大塚英志が編集長をつとめ、岡崎京子、藤原カムイ、かがみあきら、白倉由美など多彩な才能を世に送り出す。

 ある日……次に書く作品の相談をしながら、さりげなーく、言ってみました。
「こんどの本に、ぜひぜひ、このひとの絵がほしいんですけど」
 そしてさしだし……ページをひらいて指差したのが……たしか『漫画ブリッコ』だったのではないかと思うのですが,かがみあきらさんの作品でした。

「えーっ!」石原秋彦さん(当時はまだ副編集長だったかなぁ?)は、いつものとおり細面の顔じゅうをシワだらけにして笑いました。
「だめだめ。こんなの。マンガじゃん!」
「……でも!」内心の怒りを抑えて、わたしはズイッと前にでます。「いい絵です。すごく優しいニュアンスがあって。こんど書きたいとおもっているものの雰囲気に、ぴったりなんです。このひとに描かせてください。描いてもらってください。連絡はわたしがつけます。了解してもらえなかったらあきらめますから!」
(実はその時すでに前述のパラクリ・コネでかがみさんにあったことのあったわたしは、次に書きたい作品について説明して、もしできたら表紙と挿絵をかいてほしいと熱烈におねがいをして、「うーん、まぁいいけど……忙しいからなぁ」といわれていた)
「あのね」石原さんは言いました。「コバルトといっても、いちおー、ぼくらがやっているのは文学なんだからね。マンガとは、もうぜんぜんランクが違うの。読者も違うし、文化レベルも違う。だって、考えてごらん、ノーベル賞にも、文学賞はあるけど、マンガ賞はないでしょう?」
「それは単にノーベルさんが生きてるときにマンガがなかったからじゃ……」
「だいたいね、そーでなくても挿絵をやるイラストレイターのひとたちだって、生活たいへんなんだよ。マンガ人気に押されてさ。これまでずーっとお世話になってきたひとたちを、ぼくらとしてはいきなりきれないでしょう」
「でも、素子ちゃんは? 『星へいく船』は竹宮恵子さんでしょう」
「あれはガッケンで連載していたときからのご縁だから、特別の例外」
「でも、……素子ちゃんの本は売れてます! それは、それは……もちろん内容もおもしろいけど、竹宮さんの絵が、ホンヤさんで読者のひとの目をひいているってことだってあると思います」
「あのね。最近はこどもが本を読まなくなったって嘆いてる親御さんたちに、コバルトなら読んでくれるって、感謝のお手紙がきたりもするんだな。そりゃ、マンガを使えば売れるかもしれないよ。でも、売れりゃあいいってもんじゃないでしょう。やっぱ文学には文学のホコリがないと。ここでへたにマンガ路線に走ったりしたら、そりゃあ先達への裏切りにもなるし、PTAにも嫌われるし。あー、だめだめ。ぜったいだめ」
 だめ、とことばではいっています。
 しかし、石原さんの顔の表情や、身体表現は「ぜったいの拒絶」はしめしていませんでした。「まよってる」とわたしは感じました。押すべきか? 引くべきか? もっと時期を見るベきか?
 なぜ迷うのか?
 ……ひょっとするとマンガ部署との熾烈な成績争いがあるからだな、とわたしは考えました。前にもいったように、マンガ編集部は、自分とこからデビューしたマンガ家さんを、よそに貸したがりません。たとえ同じ社内でも。マンガのイラストを欲しがるコバルト作家が増えると、社内のまんが部署に頼みこまなければならなくなる必要がある。実はマンガ家さんはマンガ家さんで、連載枠を争っている。連載枠をもってない新人のマンガ家さんにシゴトを作ってあげられ、多少なりとも援助ができるとしたらそれは「貸し」になる。逆に、人気まんが家のカラー原稿をほしがったりすけば、それは大きな「借り」になる。まして他社で描いているマンガ家さんをひっぱってこようとなんかしようもんならメンドウが増える。石原さんとしては「貸し」はつくっても「借り」はつくりたくないんだな。だからまよってるんだ。
 ……邪推かもしれませんが、わたしはそこまで考えましたよ。
「おねがいします!」わたしはさらに乗り出しました。「毎月コバルト文庫にこれだけの刊行数がある中に、ひとつぐらい、マンガ絵があったっていいじゃないですか。それに、かがみさんの絵は上品できれいです。少年マンガ系のひとで、一部にはとっても人気がありますが、まだそんなにすごく有名ではありません。いま、彼の絵をもらえるとしたら、それは先見の明です。実力はわたしが保証します。けっしてプロのイラストレイターのかたがたにひけはとりません。おねがいします! 一度でいいから、やらせてください。もしその結果、読者に反対意見が多かったら、二度と、わたしのほうから『このひとにたのみたい』なんていいませんから」


『薔薇の冠 銀の庭』
(C)集英社 1984
著 久美沙織

 そして……すったもんだのあげく、『薔薇の冠 銀の庭』が刊行されました。

 もし、この本を古書店でみつけたら、どうか、ゲットしてください。わたしのかいたものもさることながら、たった22歳でなくなってしまったかがみさんの、貴重な貴重な作品のひとつです。表紙見本をみたときには鳥肌がたちました。わたしはかがみさんに「こんなふうな表紙を書いてほしい」などとひとことも要求しませんでした。しかし、わたしがバクゼンとイメージしていたものを……それ以上のものを……かがみさんは、書いてみせてくれたのです。中の挿絵は鉛筆の素描タッチで、他では(かがみさんや、かがみさんの別名である『あぽ』の研究所などの資料はありますが、それで「完成」とほんにんが確信した作品としては)非常に特殊で異例なものです。中でも、レイコというキャラの横顔の凛とした美しさに打たれずにいられないのはわたしだけではないと思います。

 以後……数年を経ずして、コバルトの表紙に、さまざまなマンガ家さんが登場するようになり……むしろ、いわゆる典型的な「挿絵画家」のかたがほとんどいなくなってしまったのは、ご承知のとおりです。

後日談その1・あるとき、どこかのパーティーだったか、パーティーながれの二次会だったかで、若いコバルト作家のひとたちに石原さんが、こういっているのを聞きました。
「コバルト文庫の表紙に、マンガ家を使うことに最初に決断したのば、このオレだよ!」
 それは……たしかに……オッケイをだしてくださったのは他なさぬ石原さんだし、事実は確かに事実ですけど……あるいはひょっとすると石原さんとしては、「口ではなんだかんだ反対してみせたけどクミのキモチはよくわかっていた、あれは試してただけだ」とか思ったりしたことがあり、あるいは何年かたつうちに、ヨソの誰かから「いやーコバルトすごいですねぇ、表紙のマンガ家の選択がまた絶妙ですねぇ」とかいわれているうちに、どんどん嬉しくなっちゃって、「自分の手柄」という意識がたかまってしまったのではないかという気もしなくはないんですけど……そして、彼の中ではそれはすでにまぎれもない事実でなんら悪意も他意もないご発言なのかもしれませんが……あの時、ニコニコ笑いながらも、「だめだめ。ぜったい許さない」っていったのを、なにがなんでも納得させてみせると必死にたたかった自分を、わたしは忘れてないですからね。

後日談その2・うちの亭主は、もしこの『薔薇の冠 銀の庭』を読まなかったら、もしこの作品があのかたちで存在しなかったら、わたしを好きにならなかっただろうといいました。





毎日中学生新聞の... 「初恋によろしく!」のこと。当時の紙面はここで見られます。
第1回第2回
第3回訃報

後日談その3・かがみさんとの「ツーカー」な(なにしろなんにも説明しなくてもこちらがこうだったらいいのにと思う以上の絵を描いてくださるので)関係にすっかり味をしめたわたしは、その直後にきた毎日中学生新聞の「一週間に一回」の連載においても「イラストおねがいー」とおねだりをして……その第三話(84年8月19日発行)の原稿をおくったあとで、彼の急死を知ったのです。

あぽ こと かがみ・あきらさんが亡くなったことについて。  (漫画ブリッコの世界

 8月12日発刊の「第ニ話」の時点では、彼はもうこの世のひとではなかったのだ。
 そして、……いまだにこの時のことを思い出すとわたしはなにをどうかんがえていいのかパニックになりそうになるし恥ずかしくて恥ずかしくて死にたいキモチになるのだが、とにかく「かがみさんがいなくなった」→「第四話」のイラスト、どうなるの、どうしよう? と真っ先に考えてしまったのだった。プロといえばプロだが、冷徹といえば冷徹この上ない反応である。オノレながら。
 あまりのことに騒然となっているパラクリにかけつけ、誰かれがしゃべる「どうもこういうことらしい」という事情をききながら、ふとたまさかそこにいあわせたゆうきまさみ先生をみつけて「たのめない?」と訪ねて「あのね、悪いけどね、いまそんなこととても考えられないよ」とつめたい目でジロッとにらまれて、やっとワレにかえった。
 代理イラストレイターは結局、毎日中学生新聞の担当のひとが、みつけてくれたのだが……。

 わたしの……、せい……?

 シモキタのじぶんのうちにかえって、へたりこんで、ぼーぜんとなった。
 かがみさんは、ちょっと太りすぎで、それがだんだん不健康な感じになっていて、わたしはそこまでは知らなかったけど、当時かなり体調をくずしておられたらしい。なにしろ人気急上昇で、シゴト、たくさんたくさんきてただろう。そこにわたしはワガママをいった。余計なシゴトをひとつふやした。もし、わたしが、あんなこと頼まなかったら。

 このへんのことについてはいまだに自分でもなにをどう考えていいのかわからない。もしかしてわたし地獄に落ちる運命なのもかもしれない。

 ただ……鬼と言われるかもしれないけど……わたしの『バラギン』がかがみさんの絵だったこと、そしてそれが、コバルトの(だからたぶんいわゆる日本の「ライトノベル」全体でも)表紙を「小説家自身が、どうしてもこのひとにたのみたいと願ったマンガ家が飾った」第一回であり、最初であり、永遠に唯一(著者が懇願して、ご遺族がオッケイしたら、既存作品が転用されるということはあるかもしれませんが)なものになってしまったことを、なんて「光栄」で、恐ろしいほど運命的なことだったのだろう、と思わずにいられない。

 かがみさんじゃなかったら、わたしは石原さんにあそこまで頼み込まなかった。
 かがみさんだったから、どうしてもほしかった。
 かがみさんの絵がもらえるとわかっていたから、あの小説がかけた。

 表紙や挿絵と小説は、コラボレーションである。
 信頼できる、尊敬できる、時にはダメをだしてもそれに応じてくれるだけのプロであること。
 時にはツッコミ、時にはツッコマレ、時には罵倒され、時にはありがとうと泣きながら抱きしめ合う。それは、ダイヤモンドとダイヤモンドがこすりあうようなギリギリの作業だ。
 コラボレする同士に必要なのは、なにより、同じ「なにか」を愛していること。
 同じとこで笑い同じとこで泣き、同じものをいちばん大切だと感じること。
 その「なにか」の一致がなければ、コラボレは成功しない。

 22歳の若さで……もっと生きていればどんなすごいものを描いたかもわからないのに……いなくなってしまったかがみさんのことを思うと、ちょっとやそっとのことでは負けてられないし、自分を許せなくなるようなことで妥協はできない、とわたしは思うのだ。

 すまん。
 かがみくんの話をするとどーしてもマジになり、はたまた、「霊感方面」にタマシイがもっていかれそうになってしまう。

藤原カムイ
漫画家。大作「ロトの紋章」「雷火」などが代表作。久美作品では「3時のおやつに毒薬を」「碧い宝石箱」「ありがちのラブ・ソング」のイラストを担当。
公式 : KAMUI'S NOTE



佐藤道明
SFデザイナー。「ラーゼフォン」「絢爛舞踏祭」などでメカニックデザインを担当。久美作品では「KINGの頬をはりとばせ!」のイラストを担当。
公式 : ななめの音楽

 ビリビリにビビッタはずのわたしは、それでもそれからものーのーと日常を生きていき、やがて、めるへんめーかーという「好敵手」にめぐりあい、「藤原カムイ」にめぐりあい、「佐藤道明」にめぐりあい、そのへんの道筋がようするにだんだん「コバルトの王道」から遠ざかっていく方向に傾いていくのである。


原稿受取日 2004.4.2
公開日 2004.5.5

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