創 世 記
番外編 大森望「『MOTHER』のころ」



大森望
翻訳家・評論家。多くの文学賞専攻にも関与。「このラノ」限定枠にもご参加下さってます。
公式 : 大森望のSFページ

『犬は勘定に入れません』
著 コニー・ウィリス
訳 大森望
早川書房 (2004)
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『文学賞メッタ斬り!』
著 大森望/豊崎由美
パルコ出版局 (2004)
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 いやあ、ふと気がつくと、もう15年も前なんですね。すでに記憶もおぼろげで、久美さんの原稿を読むまで、新潮文庫編集部副部長(当時)だったY氏を交えて六本木イゾルデで会食したことなんかすっかり忘れてました(大谷崎の話はY氏の得意技なので、たぶん久美さんの記憶は正確でしょう)。

 さて、そのザル記憶を絞ってみると、そもそも小説版の『MOTHER』を新潮文庫で出したいって話は、ゲームの原作者/プロデューサーである糸井さんから持ち込まれた企画。ファミコン関連書籍は、1980年代中盤のベストセラーリストを席巻してたんですが、老舗文芸出版社であるところの新潮社は、もちろんそんなものには一切手を出していなかった(手を出すノウハウも伝手もなかった)。

 文庫版のファミコンソフト年鑑みたいなものをつくったら売れるんじゃないかと思って企画書を書きかけたこともあったんだけど、あまりにめんどくさくて途中で断念。だいたい、いまと違って、社内でゲームやってる人自体あんまりいなかったし。

 どのぐらい理解がなかったかと言うと、いとうせいこうの歴史的傑作『ノーライフキング』の原稿が上がってから、担当編集者がデスクだか部長だかに読ませたところ、「こんなものは売れない」と言われて、半年か一年ぐらいお蔵になっていたというぐらい。

 まあそれでも、四六判『ノーライフキング』は1988年に無事発売されて好評を博し、映画化も決定。ちょうどその頃に持ち上がったのが『MOTHER』の企画だったんですね。

 当時、新潮文庫編集部に在籍していた大森は糸井重里担当で、日本の家族小説史に残る(しかし不当に無視されている)傑作、『家族解散』の文庫化を仰せつかり、吉田戦車にカバーを、高橋源一郎に解説を頼んだりしたんだけど、なぜかあんまり売れなかった。面白いのに。

 糸井さんは、「こんなしんどい思いをして小説書いて、こんな売れ行きじゃ割が合わない」とぼやいて小説を見限り、任天堂でRPGをつくることにした、と。それが『MOTHER』でした。元ネタはキング&ストラウブの『タリスマン』だったかな。

 小説版を出したいけど、自分では書く気がない。でも、ゲーム系の出版社から、よくあるようなノベライズを出すのは気が進まない。ゲームの本を出してない会社から、きちんとした小説を出版したい。

 ――みたいな話を受けて、じゃあ誰に頼めばいいだろうと考えた。RPGをやってる人で、仕事がはやく(納期が守れないと話にならない)、たしかな実力の持ち主で、しかも意外性がある人……。

 そこで最初に浮かんだ名前が、コバルト文庫でのデビュー当初からずっと愛読していた久美沙織。さいわい久美さんは一発で引き受けてくれて、いよいよ企画が動き出す。その段階で編集会議に提出した資料は、かつて(『MOTHER3』開発中止発表記念に(笑))html化してあるので、参考までにリンクしておきます→新潮文庫「小説 MOTHER」企画案(1989.4.27)

 小説の出発点になったのは、糸井さんが書いた三十枚ぐらいのシノプシス。あと、ゲームのフローチャートをもらって、東京糸井重里事務所で画面見せてもらって、いよいよ完成した生ROMもらってからが勝負だったような……。担当編集者の特権を濫用し、僕も二日がかりぐらいでクリアしました。いやあ、すばらしいゲームでしたね。

 小説化作業の進行自体は非常にスムース。というか、学園祭準備みたいな感覚の楽しい仕事だった。おりしも久美さんが「同棲状態だったマエカレと大喧嘩し、いまの旦那さんとくっつくあたり」の時期だったんで、パソコンまわりの障害がいくつか発生した(久美さんは、自分が使ってるパソコンの設定をほとんどなんにも知らなかったんです)くらいかな。原稿に関するやりとりは主にファックス。「くみビューン」の署名・イラスト入りのファックスをたくさんもらったり。催促するまでもなく原稿はどんどん上がってくるので安心&楽ちん。いや、だから久美さんに頼んだんですけど。

 私事ながら、思えばこの頃の大森は、P・K・ディックの『ザップ・ガン』を翻訳し、《SFマガジン》と《ハヤカワHi!》の連載コラムが始まり、《奇想SF特集》を企画し、《小説奇想天外》の連載を書き、その合間に月刊の海外SF情報誌《NOAVA MONTHLY》(ワープロ/コピー)を編集・発行・発送しながら会社に通ってたんで、たぶんこれまでの人生でもっとも忙しい時期だったんじゃないかと思うんですが、なぜかあんまり苦労した覚えがなくて、『MOTHER』の仕事もやたら面白かった。久美さんも若かったけど、オレも若かったのか。

 嵐のような3カ月を経て刊行された新潮文庫版『MOTHER』は、期待に違わぬ最高の仕上がりで、期待に違わずよく売れました。これがきっかけになったのかどうか、久美さんが次にENIXで書いたドラクエ番外編のオリジナル小説『精霊ルビス伝説』も大傑作でしたね。

 じゃあ今度は、書き下ろしでオリジナルの本格異世界ファンタジーをやりましょうということでスタートした『石の剣』に始まる《ソーントン・サイクル》三部作は、紆余曲折があったものの――途中で勝手に会社を辞めちゃってすみません――国産ファンタジー史に残る金字塔となった(詳しくは三巻目『青狼王のくちづけ』の解説参照)。

 編集者として『MOTHER』と『石の剣』に立ち会えたのは幸せだったし、久美さんにはつくづく感謝してます。こうやっていろいろ思い出してると、また編集の仕事をやりたくなりますね。いや、実際にはめんどくさいことも多いんだけど。


――大森望 2004.6.4記



原稿受取日 2004.6.4
公開日 2004.6.7


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