創 世 記
第7回  「読者という“強敵”」



 音羽VS一ツ橋問題の陰?に隠れて、いうべきことについて言及するのを忘れてたのに気づいたのでひとこと。
 「この分野」には「朝日ソノラマ」という老舗というか本舗というか元祖というかがあることを忘れてはいけないのでした。
 しかし、ソノラマさまはですね、もともと「男の子の」ものだ! という雰囲気があまりにも強かった。
 実際、わたしは、当時、ソノラマの本はほとんど読んでませんでした。
 獏さん、菊池さんが、お書きになってはじめて、手にとったのでした。
 そして……あのう、こんないいかたは不遜なのではないかと思うのですが、ソノラマさまのほうから「ウチでシゴトしない?」っていっていただいたことが、モノカキ生活25年オーバー、ただのいちどもないんですけど。むこうさまも「アレはウチには縁のないタイプだな」って、多分思っていらっしゃるんではないかと。(ついでにいうとなぜか文芸春秋さまもそうなのですが、わたくし、なにか、ブンションさまのゲキリンにでも触れてますでしょうか? 週刊文春の今年のベストミステリーアンケートには、マジメにお答えしているつもりなのですが)。

 なので、そちら方面のことに関しては、どなたかもっと詳しいかたに書いていただければと思います。
 あそこはあそこで、時代に応じてどんどん変遷してきたりした経緯もあるだろうし。

 さて、「囲い込み」エンクロージャー。またもテストに出るような単語が出てまいりました。
 歴史はくりかえす。
 人間のやるこたー、業種がかわってもたいしてかわらねー。

 エンクロージャーとは、荘園領主や豪族が、地元の小作人を束ねて、一種の「ちっちゃな王様」だったようなことですね。
 出版社は……というか、実は「おのおのの編集部」は、なのであって、同じ社内ですら、部が違うと「対立」とか「競争」とかをやってたりするのですが……とにかく「そこ」が手にいれた有望新人を、よそに奪われまいとするのは、とってもとってもあたりまえなことのようです。
 そして、出版界では、いかにも日本的な「口約束」とか「暗黙の了解」が日常を支配していた。これはかならずしも過去のことではないです。いまでもです。
 たとえば、単行本などを書くことを依頼されたとします。もとから知り合いの担当だったら、電話かメール一本で「いついつまでに何枚ね」でおわり。FAXやメールなら「証拠」は残りますけど、そこに「ゲンミツな契約事項」は含まれません。はじめてましてのひととでも、一回ゴハンたべて、そこでハナシして、「じゃ、そーゆーことで」ってあとは自主判断というか、自己責任に任されちゃう。

 昨今ではさすがにそれはマズイということになったらしく「契約書」というものを二通作成して、著作権者と、出版社とがたがいにハンコついてイッコずつ持ってましょう、みたいになってますが、たいがいそれが送られてくるのは「本ができてから」あるいは「印刷があがって配本する直前」です。
 へんだよねぇ。本来ならば、「やってください」「わかったやりましょう」って時に契約をかわすべきだと思うんですが……
 笑っちゃうのは、「すでに原稿を渡してある」契約書に、「原稿を渡すべき期日」が記されていることです。とっくに過ぎた日付が。
 これはやっぱあれでしょうねぇ……作家の大半は「シメキリ」を破る。守らない。守りたいと思っていても守れない。そのたびにいちいち「契約違反」になって「違約金」をはらわなきゃならなくなったりすると生活できない。だから、「温情」として、いかにも日本的「なぁなぁ」の感触で、そこらへんいいかげんですますかわりに、部数とか定価とかの決定も「こっち(版元)で勝手にやりますから」みたいな。そういう、「おたがいさま」的な雰囲気がある。

 最近は、アメリカ式に、「マネージャー」とか「エージェント」とかをお使いになっておられる流行作家のかたがたもおありのようですが、あくまで少数ですね。

 この事態にかすかながら変革が生じたのは、ゲーム業界が出版に参入してきてからです。なにしろゲーム制作には膨大な人数がかかわり、何ヶ月とか、へたすると何年とかいう時間がかかる。ゲーム内容やプログラムに関しては守秘義務も生ずる。だから契約書によるシバリが必要になる。万が一のスパイ行為などがあったら、速攻、告訴に踏み切れるように。それにしても、ノベライズの分野ではいまだに「本ができてから」契約書、なのがちょっと不思議なんですけど(わたしの知る限り)。

 ちなみに作家を、というか、おもにマンガ家を、「他の雑誌にかかないでね」と拘束するためには、「専属契約」というやつを結んだりもします。するようになりました。いつの頃からか。少なくとも○年間、あるいは、これこれの連載中には、ライバル他誌には、書きません、と、お約束をする。するかわりに、「ちょびっと」(具体的な金額はよーしりませんが)専属契約料金をもらう。専属契約だけしておいて、実際にシゴトはもらえない、などという悲劇もあったりなんかしたりすることもあったりしたようですが、詳しくは知らない。誰か詳しいひと、語ってください。

 いまはどうだか知りませんが、コバルト黎明期、というか、まだ雑誌のほうは「小説ジュニア」で、文庫コバルトがたちあがったばかりの頃のわれわれにはそのような、われわれにとって美味しい保証であるところの「専属契約」とか「契約料」なんてものは、まっっっっっったく、ありませんでした。そんなコトバとか概念とか可能性があるなんてことにすらきづいてなかったですねわたしなんかは。実際の「忙しさ」が、ヨソでシゴトをすることをほとんど不可能にしていたのはこないだいったとおりです。なのに、他社の編集とかから電話かかってきて、「久美さんにあいたいんですけど」っていうと、ぶっきらぼーな態度をとって、ことわったりとか、したりして、ひそかにジャマしていたらしいです。
(新聞社とか、取材系はべつですぜ)

 なんでそんなにしてまで作家を確保しなきゃならなかったのか?
 忙しかったからです。
 ヨソでしごとされると、自分とこのシゴトがはかどらなくなるからです。
 じゃ、なんでそんなに忙しかったのか?

 使える作家が少なかったから、と前に申しました。
 ほんとうにそんなに少なかったのか?
 わたしが、コバルト文庫を出してもらえるようになったとき、つけられた作家番号は「88」でした。
 少なくとも、わたしの「前」に87人はおられた理屈ですね。
 そのうちどのぐらいが「ご老齢の大家の先生」だったりしたのか、あるいは、すでに故人になっておられたのかは知りませんが……
 88(←末広がりの良い数字ですねぇ、偶然なんですけど)人もいりゃー、じゅんぐりにかいてりゃ充分まにあいそうなもんなんですがねぇ。
 「使える」やつと「使えない」やつは、いたんでしょうねぇ。

 ちなみにある日ふと気づくとわたしの作家番号は「く−1」になってました。
 あっしの現役(つまり平成版再刊のおかみきを別にして)時代最後の作品であるところの『東京少年十字軍(下)』は、「く−1−44」です。
 これで、わたしが、コバルトに「44冊」かいたのだということがいともカンタンにわかるしくみ。
 しかし……アイウエオ順で、「く」からはじまるナマエの作家で、コバルトに書いたことのあるヤツの一番目がわしだったんでしょうが……よりよって「くのいち」かよ(笑)
 なんつーか……自分の「おっそろしく強烈な運命」みたいなもんを感じずにおれませんですなぁ。

 ムカシ、とあるマンガ雑誌が創刊されるパーチーの時、占いの先生がおいでになっておられて、手相をみてもらったことがあるんですが、その先生、ひとめわたしの手相をごらんになるなり、
 「……今日は何人も何十人もの有名なかたの手相を拝見しましたけれど……」ここで、顔をよせて小声になり「あなたが最強。いちばんスゴイ」断言されました。
 いわゆるマスカケともちがってて、えーと、両手とも、環状線じゃねぇ感情線も知能線も生命線もものごっつー濃くてクッキリ、ほとんど、「鉄条網」のようにヨジレながら刻み込まれてる。知能線は、うわさのスプリットタンのように、ヘビのベロのように、途中からフタマタにわかれてます。あまつさえ、タテの「どまんなか」にそれぞれ、ちょーぶっといセンが貫いてます。いわゆる「運命線」ですね。右手のソレは定規でひいたんじゃないかってぐらいどまっすぐで、ただし、例のヘビ型知能線にぶつかってほとんど見えなくなってます。左手のソレは、20代のあたりでぐきっと一回折れながら、中指のツケネまでくいこんでます。

 「やっぱり」とわたしは思いました。われながら、なんかキョーレツにカミサマに愛されてるのを感じるほどラッキーだったことが何度もあるし、ホロスコープの専門家にみてもらった時にも「強運の聖三角形」が出てるといわれたので。
 でも、運命線がぶっといってことは、それだけ「波乱万丈にチャレンジャー」だってことで、かならずしも「安泰」ではないらしいっす……人間だれだっていいことばっかじゃないのよ。ハイリスクハイリターンな人生ってやつね。

 ちなみに、いっときタマシイの師匠とあがめていた、とある本業ミュージシャン、裏家業某占い宗家の超能力者さま(マジ)には「陰徳を積め」ときっちりクギをさされたもの。「アンタの天命は異様に強すぎる。その恵みを自分のためにだけ使っていたら自分も周囲も滅ぼすぞ。つねに自分のことはあとまわしにして、困ってるひとのために尽くせ! そして、そのことをけっしてジマンするな。右手のやっている善行が左手にわからないぐらいにこっそりやるのだ(あんた宗派そっちだっけ?)」
 うっそー。そんなのぜんぜんラッキーじゃないじゃーん! わたしに出家でもしろっていうのかよ!
 と思いましたが、すみませんん、わたし、見しらぬお他人さまのためには、これまでの生涯、あんまりそんなにうんとはお役にたってないと思いますけど、すくなくとも拾った犬猫だけは大切に大切にしております。いのちはひとつ、どうせ輪廻転生したら来世はゾウリムシとかハダカデバネズミとかじゃないかと(クリオネだったらいいなぁ、カメムシはやだなぁ)思うんで、動物に「やさしい」だけでもいいよね? だめ?

 またまたハナシが飛びました。
 これはグチなんでしょうか、それともジマンなんでしょうか? 自分でもよーわかりませんが……とりあえず、「わたしって、タダモノではすまされない運命なのだわ」っていうのは、世界名作文学フェチだったやつにとっては、まぁ、どっちかというと「勇気」と「覚悟」をあたえてくれる宣告ではありましたね。

 イントクを積むべしと、某超能力者(マジですってば)にお達しされる以前から、ワタクシメは、「プロのものかきになったからには、とにかく読者を大切にしなければならない」ということだけは、ものすごーくキモに銘じておりました。

 いや、もっと古く。
 転校しまくりの小学生中学生だった頃から、「おともだちはたいせつ」と思ってました。
 なにしろさ、女子ってさ、基本的に保守的な生物でしょ。いきなり現れた知らないやつって、警戒されるし、仲間ハズレにされるし、カゲグチたたかれるし、へたするといじめられるわけ。で、男子は男子でさ、気になる子にはちょっかい出したりするじゃん? 転校生って、ずーーーっと生まれたまんまその場所でそだってきたひとにとってはトリックスターだからさ、なにかとかまいたがるのね。で幼い男子のかまいたがるって、ともすると「からかい」とか、スカートめくりとか、そーゆー方向に走るじゃない?
 ところが、性格のキツいわたしはおとなしくみーみー泣いてなどいないわけです。
 小学五年生までは格闘技で対抗しました。得意技は、蹴りと、噛み付きと、スピードでした。
 ブラジャーをつけないとチチが揺れるようなった頃からは、男子には色気で、女子には無視で、そして「教師一同」には成績と「マジメな良い子風の活動」でおのれをアピールするようになりました(ああ……なんてイヤなやつだ!)
 ほんま、自分でも思いますけど、まるで「少女小説の悪役」そのものみたいなやつでしたねわたしってば。

 で……小説ジュニアだったか、それが季刊コバルトになって、さらに隔月刊になったりする頃からでしょうか、「作家」には「読者からのおたより」が届くようになったわけです。
 思い出してください。集英社の社是。『アンケート勝者が一番えらい』。
 はい。
 せっせと書きました。「お返事」を。
 一回お返事を書くと、お返事のお返事がくるので、それにもお返事を書きました。
 読者さま用の住所録ノートを作って、アイウエオ順に「顧客管理」を徹底しました。
 そのかたが何歳で、何年生か、ぐらいまで、データを蓄えていったのです。
 (あの頃エクセルがあればなぁ!)
 次第次第に膨大な数になり、わたしの日常は、原稿をかいているか、読者からのレターにお返事をかいているかが「メイン」になってしまった。一日百通返事を書かねばならないような事態に陥ったときには、ついに字のきれいな友人に「バイト」を頼み、「お手紙の開封」「封筒の宛名書き」「わたしが直筆でかきあげた手紙をきれいにたたんでしまう」「切手をはる」「例のノートに何回めの返事かのチェックをいれる」などなどのナガレ作業をたのみました。でないと、とてものことに終わらないんですから。
 毎月、「年賀状」を書いてるようなもんだと思ってください。しかも最低三ヶ月に一冊は新刊が出るので、新刊を読んでくださった「常連」のかたがたから、またドッとお手紙がくる……。

 でも、これが、この作業こそが、わたしをいちおー「人気作家」の立場にしておいてくれるのだ、とわたしは認識理解していました。なにしろ、アンケートの結果もさることながら、段ボール箱で送ってよこさなきゃならないほど「読者からお手紙がくる」作家を、そりゃー、編集部は「人気ものだ」と思わずにいられないですからね。
 それに、読者さまから、直接の感想を聞けるのは、たしかに嬉しいしありがたいことだったのです。ある程度までは。

 あるとき、どっかの地方で、サイン会がありました。
 列に並んでくださったお若い読者のかたがた(9割女性)のひとりひとりのメをみつめ、にっこり笑い、握手をし、差し出された本に「お名前をおかきしましょうか?」とたずねます。いわれたら、漢字などを確認して、書きます。そして、サイン。握手。ちょびっとおしゃべり。「がんばってください」
「ありがとう」だいたい連続30人ぐらいこれをやると、脳みそがほとんど空転してきてなにもわからなくなるのですが、顔はニッコリわらったままです。若くなきゃできないですね。

 さて。それから半月ほどのち。
 例によって段ボール箱でドサッととどいたお手紙を、例によってバイトにたのんだともだちと共に開封し、お返事制作作業をしていたとちゅうのわたしの手がピタリととまりました。

くみせんせい。先日は○○市におこしいただきありがとうございました。実はあの日わたしもサイン会にいきました。あえるの、すっごくたのしみにしてました。でも……せんせい、わたしのこと、ぜんぜんわからなかったですね。もう何度も何度もお手紙をやりとりしていて、楽しくおしゃべりしていて、わたしのことはわかってくださっている、わたしの名前はとうぜん覚えてくださっていると、すっかり信じこんでいました。だから、サインをおねがいして名乗ったとき、「まぁ、あなただったの! いつもありがとう」といっていただければ……きっとそうなると信じて、胸をたかならせながら、プレゼントの花束をもって、一時間も雨の中おとなしく列にならんでいた自分が悲しく、みじめでした。かえってから、くみせんせいのごほんをぜんぶ焼きました。もう二度とお手紙はかきません。あなたには失望しました。さようなら。

 イイワケはできます。
 同年代の女子の名前なんてね、そっくりなのがどんだけたくさんあるか!
 たとえば、サトウさんが、タナカさんが、マリコさんが、エミさんが、どんなにどんなにオオゼイいるか!
 その全員をかろうじて区別して、かつての「返事」「返事」「返事」応酬を成立させていたのは、実は「書き文字」だったのです。
 同じ「佐藤恵美子」でも、ひとの字は、ものすごく違います。
 それはカオと等しいほど違う。
 だから、「音で聞かされたサトウエミコ」でわからなくても、そのさとうさんが、いつも手紙をくれるときと同じ特徴をもった文字で「佐藤恵美子」と書いたものをさしだしてくれてさえいれば、わたしはきっと「まぁ! あなただったの! たくさんお手紙ありがとう!」といえたし、ひょっとすると、たちあがって彼女を抱きしめさえしたでしょう。

 けど……わかんねーって!
 そうでなくても、こっちゃ、笑ってニッコリサインし続けるだけで、へとへとだったんだって!

「くそおおおおお」わたしはニギリコブシを固めました。
「……そうきたか……そこまでいうか……おぬしらはわしにそこまで求めるのか!」

 なにしろ運命線一文字人間ですから、挑戦をつきつけられると、戦ってみないうちは「負け」をみとめられないんですね。
 そこで、
「あーあ、チューガクセーの女の子のワガママにも困ったもんだよ。アンタにとっちゃー、あたしはひとりかもしれないけど、こっちは毎月、100通も200通も返事かいてんだよ。そんないちいち覚えてられるわけないぐらいわかれよ!」
 って、肩をすくめられるような人間だったら、よかったのかもしれないんだけど。
「だいいちね、あんたら『こんどのご本も買いましたー!』って、やたら恩着せがましく言うけどさ、おかみき一冊、たった240円だよ! そのうち印税といってあたしにはいってくるトリブンは10パーセントの24円なんだ。62円(当時)の切手をはって、封筒と便箋と用意して、ともだちにバイト料まではらって返事をかいてるわたしの、どこに、あんたらに借りがある!? 赤字なんだよ。モチダシなんだよ!」
 なんつーことも内心は思ってるんですけども(もちろん、セッセと働いているわたしと、お小遣いをもらってるだけの読者のかたがたとの「可処分所得」の違いはね、そりゃわかってはいますけどね、「買ってあげてるんだからこれぐらいトーゼンでしょ?」「人気作家さんで儲かってるんだから、平気でしょ?」ってな感じにうけとめられている雰囲気を察知すると「……それは違う! 違うぞ! 間違ってる!」と思っちゃうんですね、反射的に。だいたいね、いっちゃなんですが、こっちは書くのが商売で、本来は書いたものって「400字一枚いくら」って商品なのよ。それを、ロハで提供しているだけでも、いちおー「サービス」だって思ってほしいのよね、それが何百人で、しかもエンドレスに繰り返しだった日にゃぁ、あーた、出血大サービスって意識がこっちにあるのも、無理ないと思いません?)、それでも、「ちくしょう、負けるもんか」なキモチのほうが強いんですね。

(ちなみに中には返信用切手を同封してくださる読者とか、返信用封筒にきちんと自宅住所を書いてしかも名前のあとのほうに「行」と書いておいてくださる読者とか、「切手など同封いたしますと、先生がご負担にお感じになるのではないかと案じます。どうか、お忙しいならば、お気になさらず、他の用途におつかいになってくださいね」なんてカワイイこというやつだって、いた、たしかにいた! そういう読者が、最初のころには「すごく多く」やがて「だんだん少なくなっていく」のをわたしはたしかに目のあたりにした。それは、小ジュ読者……年齢のわりにおとなびた文学少女→コバルト文庫読者……年齢のわりに幼くてちょっとミーハー の変遷と、みごとに相関しているのであった)

 だいいち、読者の「全員」が手紙かいてくれるわけじゃないですから。わざわざ手紙かいてくれるほど「愛して」くれたことに感謝しなかったらオレ、鬼じゃん! って、わたし、思ってましたから。

「わかった。このミスは二度と犯さない。犯してなるものか。もう一度同じ轍をふみそうになる時、それはわたしが返事をかくのを完全に放棄するときだ!」
 と、このときわたしは決意をし……
 以後、「サイン会」がある直前には、徹底的に「予習」をするようになったのです。
 そのサイン会の地方にすんでいる「しょっちゅうお手紙をくれるコ」の名前とデータを確認するのはもちろん、例の「読者住所録」にも、さらなるデータを加えていきました。写真を同封してきたやつの写真をはるとか。どんな話題をしたとか。なになに高校の何年生だとか。どの作品のどのキャラがすきか、これまでのお手紙で話題に出たのはどんなはなしだったかとか。
(ああ……あのころ、エクセルと、モバイルパソコンがあれば!)
 ノートは、出張先にもってゆき、サイン会直前まで、何度も何度も確認しなおした。

 そして、サインをもとめるひとの名前を聞いたとたん、ハッとしたようにクビをかしげ
「……鈴木宏美さん? もしかして、○○高校の?」
「そうですー!」おどろくヒロミ。「うわぁ、覚えていてくださったんですかー!」
「ええ、もちろんよ。何度もお手紙ありがとう。こないだのたこ焼きの話は傑作だったわ!」
 などとやらかしたんだからあたしも役者というか努力家だというか。

 ちなみに、最大時、わたしは、約2000名の読者少女のデータを、ほぼ把握・暗記していました。
 テストしてみたら、それぐらいでした。
 フルネームと、都道府県名をいわれれば、「どこのどんな子でどんなカオか」8割ぐらいは正解できてました。さすがにミチバタですれ違ったぐらいではわかんないかもしれないけど、サイン会にきてくれたら、わかった。
(20代の、しかも、やけっぱちに奮起した脳みそだからこそ、可能だったことでしょう)

 大量の「補充資料」をセロテープでくっつけられまくってぱんぱんにふくれあがったノートの背表紙がやぶれはじめたとき、ふと、ドッと重たいものをオボエ、
「そろそろもう……限界かもしれない……」
 そう思いました。
 そして……「わたしはもう年賀状には返事をかかないからね」宣言を出しました。
 数百通分の年賀状に返事を書くより、次の小説を書いたほうがいいんじゃないか、と、そこまできてよーやく、気がついたのでした。
 バカですねぇ。『ジャンプ方式』をサカテにとって、要領よく「人気作家のふり」ができてるような気になって、実は「良い作品を書く」という最も重要なことにさけばいい、さかなければいけない、精神的エネルギーや自由になる時間をどんどんすり減らしていたのですから……。

 でも、受験間近な読者には、どんな霊験があるか知りませんが勝手につくった「合格祈願」おまもりまでいちいちおくったりしたし、「久美沙織通信」通称「くみつー」というものも何号か発行しましたよ。
 これは、一度に処理(ひどい用語ですみません)しなければならない要返事物件のひとつひとつに対してかけることのできる時間および手書きするわたしの右手の疲労を軽減するためには、「印刷物」をいれて、あとは「それぞれにひとことぐらい」書く、という作戦が正しい、と判断したためです。

くみつー
久美沙織通信 保管庫にて見ることができます。

 くみつーの実物が、いまも、とってあります。
 いま旦那にスキャンをたのんであります。
 手書き文字と、ワープロ印字、あまつさえ、「ケシゴム」や、「スタンプ制作オモチャ」でつくったスタンプなどなどを使い、当時ウチのコピー機ではできなかった拡大・縮小をわざわざコンビニにいってやって、キリバリしてつくった写植原稿を、近所の「印刷所」(年賀状とか名刺とかつくってくれるとこ)にもちこんで、数百枚、両面印刷した、その、残りです。
 あの、ローテクな時代に、最大限努力した結果の「ですくとっぷぱぶりっしんぐ」じゃった。
 なんとか「見て楽しい、読み応えのある」くみつーを作ろうと、いやもうほとんど意地でしたね。つーか、いまこうしてこういう文章を書いてることとか、拙サイトせっせと更新していることとかでおわかりのように、よーはわたし、「ひとにむけてなにか発信すること」がすきなのね。できれば、サービスよく、相手がウケて喜んでくれるようなかたちで、それをやりたいのね。
 この件には、いまはもうどこでなにをしているのか知らない当時のカレ。そのカレが、手伝ってくれたことも大きかったです。ありがとうタカハシ。いろいろあったけど、あの時いっしょに戦ってくれたことだけは忘れない。

 でもって……

 愛と憎しみはコインの裏表。
 あまりに愛されるのは、憎まれるのと同じこと。
 そして、くれる愛にせいいっぱい応えようと努力することは、へたすると、勘違いストーカーを作ってしまうようになること。

 もひとつ。

 数はそれ自体で暴力だということ。
 数の中には、こちらが思いもかけないような反応をしめすような相手がかならず何パーセントか存在してしまうということ。

「最近、くみさん、冷たいよね」
「ちょっと売れたからっていい気になってるんじゃないですか?」
 憎悪や怨嗟の感情むきだしの手紙を目にする機会が増えてゆきました。
 いっしょうけんめいつくっているつもりのくみつーでも「テヌキ」といわれるのです。
「ムカシは、便箋何枚も、ジヒツで返事くれたのに、いまじゃ、走り書き一行だもんねー、人気ものはたいへんだよねー」
 皮肉もいわれるし。

「こんにちはー。こないだお返事もらった小林有香でーす。すっごい嬉しくてともだちにジマンしたらみんなも、ジブンに返事ほしいんだって。だから、このコたちにもかいてやってね。それぞれに別々のメッセージおねがいしまーす。ちなみに、ナナエとタカはいつも回し読みしてる仲間だけど、レイコとマミにはこれから布教しまーす。[……以下、四名分の住所と名前]」

 ……彼女たちは、本当の意味で、読者なのだろうか……?
 ……彼女たちは、わたしの本の、なにをどう読んでくれているのだろうか?
 ……わたしは彼女たちにとって、なんなんだろうか……?

 静かな、しかし、強い、消せないつらい痛い疑問が胸の底に黒い沈殿をつくりはじめた頃、わたしは人気の絶頂でした。6巻で終了する予定の「おかみき」は、売れるからもっとかくようにといわれ、一年の猶予を経て「高校篇」を書き足すことになりました。

唯川恵
小説家。等身大のエッセイや小説は共感度が高く、幅広い年齢層の女性から支持されている。『肩ごしの恋人』で第126回直木賞を受賞。



藤本ひとみ
小説家。西洋史への深い造詣と綿密な取材に裏打ちされた歴史小説、犯罪心理小説で脚光をあびている。




野原野枝美
桐野夏生氏のジュニア小説時代の名義。『急がないと夏が……』『ガベージハウス、ただいま5人』などがある。

 そして、……時期はあるていど前後するかもしれませんけれども……その頃までに、唯川恵さんが、藤本ひとみさんが、そして、後に桐野夏生さんになる野原野枝美さんたちが、われわれの「軍」にくわわっており、講談社は「対抗」文庫を作り、コバルトは、絶頂中の絶頂状態を迎えていたのでした。
(でもって、イントクを積まねばならぬはずのやつ、右手のやっていることが左手にわからぬほどそっと善行を積むべしといわれたやつが、こうして自分がどんなに「必死にがんばったか」を縷々セキララに書き綴っていたりするんですから、これはもう、きっぱり、自分で自分のクビを絞めている。
 こんなことしてあげちゃったんだよー!
 と公知してしまった時点でイントクがチャラだとすると……
 ああ、わたしは、いったいあとどれだけイントクを積まないと地獄に落ちるのだろうか……だいたい何をやってもすぐにネタにしてしゃべりたくなってしまう癖をなんとかしないことには一生無理なんではないんだろうか……トホホホ)


(ここに掲載してあった久美佐織通信はこちらに移動しました)



原稿受取日 2004.3.30
公開日 2004.5.1

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