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今回は、有史以前? のデキゴトについて、わたくしめの知っているコトガラについて、ちょびっと述べてみたいと思います。もしかして勘違いとか間違って覚えてることとかあったら、教えていただければ訂正します。バカ扱いしてイジメずに、あくまであたたかい目で見守っていただけるとありがたいです。 |
さて。 |
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いや田辺聖子先生ではなくて(笑)吉屋信子先生のほうです。現代のワカモノには、原点より、とりあえず、この評伝というか、伝記というかが、オススメだと思います。いったいどういう時代にどんな作家がどんなことをやってきたのか、おセイさんの清純にして透徹した思考力で、追体験させてくれますから。勉強になりますよ。 |
(C)東方社 『良人の貞操』 著 吉屋信子 東方社 (1966) →bk1 →ama →楽天 『女人平家』 著 吉屋信子 朝日新聞社 (1971) 『徳川の夫人たち』 著 吉屋信子 朝日新聞社 (1974) →bk1 →ama →楽天 『花物語』 著 吉屋信子 洛陽堂 (1920) →bk1 →ama →楽天 |
晩年は、新聞小説『 ちなみに、『良人の貞操』という小説はそのタイトルですでに物議をかもしました。亭主に貞操を求めるなんて考えは、それ以前の妻にはなかった。あっても言っちゃいけなかった。男は好きなだけあっちでもこっちでもコダネをばらまくのがあたりまえで、きっちり貞操をもたねばならぬのは女のみ、って考えられてたんですね。まーいってみれば、生物としてのオス性がよりモロだったというか(古代とかになるとまた全然別なんですけど、とりあえず)。
「まことより嘘が愉しや |
このへんのさらにルーツには、世阿弥の「一期は夢よ、ただ狂へ」がある……そもそも、日本人は西洋人にくらべるとネオテニー(幼児的特性を保つこと)的であり、男女の体格差も少なく(ハクジンなんてあーた、男はシュワちゃんで女はボインで)、やれお稚児さんシュミだの、歌舞伎・宝塚などなど芸能における性差の混沌などなどがある……なんていいだすと、話がぜんぜん進まないので、ま、そーゆーことは、一応アタマの片隅においといていただいて、先にすすみます。
えー、ゲンジツには、「三界に家なし」とかなんとか言われ、ろくに教育も与えてもらえず、セックスつきの家事奴隷みたいな生き方をさせられるのがあたりまえだったころの女性、というか、まだうら若いオトメのみなさんに、信子の「ロマン」は、希望そのものだったのです。 |
『少女の友』 明治41年(1908)創刊。昭和30年(1955)の終刊までの47年間、おもに女学生に人気を博す。執筆者には与謝野晶子、川端康成、吉川英治、阿部静枝、田村泰二郎、山中峯太郎などもいた。 画像提供:書肆風狂様 |
昭和三年にお生まれになられた田辺聖子先生はリアルタイムで雑誌「少女の友」(なんとあの実業之日本社。ちなみに当時は貸本)に「間に合った」世代だ、と、上記の本で、おっしゃっておられます。お若い方々、わかります? これは、あの太平洋戦争つまり第二次世界大戦の真っ最中です。戦況はどんどん悪くなり、女子はモンペで防空ズキンで、先生がたは国民服でゲートルで、なにかというと暴力で倹約で「ホシガリマセンカツマデハ」な時代。そこにこれですから。 でもって話がちょっと相前後しますが、「少女小説」という言い方は、吉屋信子先生がはじめておっしゃったようで、これを「継承しよう」と提言なさったのが、コバルト初期時代の、氷室冴子せんせいでした。 |
(C)集英社 『マリア様がみてる』 著 今野緒雪 コバルト文庫 (1998/04) 2004年4月現在最新刊の「マリア様がみてる チャオ ソレッラ!」→bk1 →ama →楽天で17冊目になる人気シリーズ。 |
そもそも、「少女」とか「少年」とかいうものそのものが、あくまで近代の産物であり、義務教育でほぼ国民全部が「学校」にいくようになるまでは存在しなかった、というふうに理解してください。 何の話だっけ? |
あ、そうそう。 でもって。 いきなり話があいまいになりますが、アタるところ二匹目のドジョウを狙うやつが出現するのはいつの時代の出版界でも同じことで、「少女の友」のパクリというか、そっくりさんが、つぎつぎに雨後の筍します。 |
(C)小学館 『女学生の友』 小学館から昭和25年(1950)に創刊された月刊誌。女子中高生向けのライフスタイル提案を主とした雑誌(らしい)。昭和45年12月から誌名を『Jotomo』と改める。昭和49年(1974)終刊。 画像提供:女学生の友の世界様 (C)集英社 『小説ジュニア』 集英社から昭和41年(1966)に創刊された月刊誌。昭和57年(1982)に誌名を『Cobalt』に改め、現在に至る。 (C)秋田書店 『幻魔大戦』 画:石森章太郎 原作:平井和正 1968年刊行。『週刊少年マガジン』に連載された漫画。過去・現在・未来を通じて宇宙全域の暗黒化を企てる幻魔と人類の攻防が描かれた。小説、アニメ等などにジャンルミックスされている。 「この表記は当時」 石ノ森章太郎は、もともと「石森」と表記して「いしのもり」と読ませるはずだったが、「いしもり」が定着してしまったため、後に「石ノ森」に改名した。 |
こっから、わたし(1959年生まれ)の実際の記憶になるんですが、わたしが小学生のころには「ジョトモ」と呼ばれるレトロな雑誌がまだ生き延びていました。フルネームは「女学生の友」だと思います。 で「小説ジュニア」もまた、そういうひとつだったのです。
わたしが小説ジュニアをこっそり(親にかくれて)購読しはじめたのはおそらく小学五年生ぐらい。毎月かかさず買うようになったのは六年生になってからですね。はっきり記憶しているのは、『幻魔大戦』の秋田書店のSUNDAY COMICS一巻を、表紙の絵柄と「SF」というなんだかよくわからないアヤシイ文字に惹かれてこっそり買って帰って読み、感激のあまり、ナイショだよ、と四つ下の弟(現在眼科医)にみせたら、バカ弟めが両親にチクりやがって、「マンガなんて買っちゃいけません! それより、親に隠しごとをしたりするのはもっといけません!」とこっぴどく叱られたのが、盛岡市天神町の家だった、ということです。
ここでわたしは反省するどころか、より巧妙に、親にみつかってヤバそうなものは、しっかり隠して読み、弟にすらぜったいに見せない! という姿勢になった。だって、あんなにおもしろい『げんま』のどこがいけないのか、ぜんぜんわかんなかったんだもん。
で、毎月隠れてセッセと読んでた『小説ジュニア』ですが……おもしろかったですよ。そりゃー。なにせ禁断の世界なんですから。でも、ちょっと読みなれてくるとだんだん「???」になってきた。 |
あっちこっちで語ってますから、いまさらのかたも多いかもしれませんが、好きな逸話だし、「歴史」の一ページとして、欠かせないものだと思うので、ひとつ。 |
(C)集英社 『白百合の祈り』 著 諸星澄子 集英社 (1968) |
諸星澄子先生『白百合の祈り』昭和52年1月10日刊行。
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農地改革!? 知らないひとはハイ、ここらへんでおさらいしてくださいね。
昭和22〜25年の話なんですね。上の文庫の刊行当時、すでに、「三十年前のデキゴト」。 「うおおおおお、農地改革でロミオとジュリエットかよ!」 |
めるへんめーかー 漫画家・イラストレーター。『丘の家のミッキー』『星降る森のリトル魔女』『不思議の森の物語』などを手がける。 公式ページ : 『不思議庭園』 (C)集英社 『丘の家のミッキー』 著 久美沙織 コバルト文庫 (1984) 通称「おかみき」。現在は新装版となっている。 →bk1 →ama →楽天 『電気計算機のセールスマン等』 著 諸星澄子 第51回直木賞候補作。昭和39年発表。 (C)集英社 『制服の胸のここには』 著 富島健夫 『葬家の狗』 著 富島健夫 第30回芥川賞候補作。昭和28年発表。 | あまりのことにウケまくりへんな意味で感動してしまったわたしは、のち、めるへんめーかーとの共著『デュエット』(おかみきがヒットしたのでやらしてもらえた、企画本の元祖みたいなもん)の中で、これのパロディみたいな『聖嘉津緒戦争』というアホ話を書いたりすることになるんですが、それはさておき。
諸星澄子先生は、すっごい小説うまいかたなんですよ。ちなみに『電気計算機のセールスマン等』という御作品で、直木賞の候補にもなっておられます。とてもマジメで実力派なかたなんです。
『制服の胸のここには』(←いいタイトルです!)『おさな妻』などなどで最大人気だった富島健夫先生は『葬家の狗』で芥川賞候補になっておられます。その後、エッチ方面の作品をたくさんお書きになったのはご存知のとおり(若いかたは知らないかなぁ)。 でもって……すみません、後輩なくせに非礼を申します。当時そういうものを書いておられた先生がたがすべてそうだというのではありませんし、すべての作品がそうだとももちろん申しませんか、当時の「小説ジュニア」およびその単行本版、そしてその類似作品には、「小説家デビューしたもののなかなか一般大衆文学では食べていけない先生がたの、生活費稼ぎ」っぽい面が、しょーじき、あったと思います。 はたまた、誰とはいいませんが、お下劣にエッチに扇情的なものをお書きになって、売らんかな、な感じの部分もありました。小説ジュニア本誌には毎度『愛と性のカウンセリング』だの『読者応募の衝撃の告白体験記集』だのが載ってたし(ちなみに、デビュー後、文庫など出してもらえるようになる以前に、わたしは、その「読者応募の体験記」を何度か依頼されてデッチあげました。こういうテーマとこういうテーマとこういうテーマで書いてね、と編集部にいわれて、いかにも読者が投稿したようなふりをして書きましたです。当然、原稿料もらって。もう時効ですよね?……このへんの話はまたその時期の新人作家がどーゆーことやらされてたか、とか、あとで書きたいと思います) ともかく。
「なんで?」と、わたしは思いました。
小説家ではなく、マンガ家になっていたから! ……です。 |
花の24年組 昭和24年前後に生まれた少女漫画家を指す。少女漫画の可能性、ジャンルを広げた。 アイビーマンガ 70年代に「りぼん」で流行した乙女ちっくマンガ。代表作家は陸奥A子、太刀掛秀子など。 | 花の24年組のみなさまが、わたしよりちょうど十個上。
ご覧くださいこのすごいメンバー。 |
ちなみに、高校の同級生で後にほかならぬ高校の先生になったFくんというひとがいました。 |
わたしの個人的体験では、「オタクは性別を越える」のを実感したのはこのときがはじめてです。 |
(C)小学館 (1974) 『ポーの一族』 著 萩尾望都 →bk1 →ama →楽天 (C)白泉社 『風と木の詩』 著 竹宮惠子 →bk1 →ama →楽天 (C)朝日ソノラマ (1977) 『いちご物語』 著 大島弓子 →bk1 →ama →楽天 | (自分は幼稚園の時にすでに、テレビの『オオカミ少年ケン』にファンレターを出したぐらいで、はるかにムカシからオタクだと自覚していましたが……いやオタクということばはなかったですけど……中学生になっても、おさないイトコらを連れていくふりをしてほんとは自分がいきたくて東映まんが祭りにいっていた頃から、わたしは一生オトナになれないのかもしれない……と思ってましたが) 以来、隣の席のFくんとは、ほんとうに男とか女とかまるで意識しないですむ良いともだちになれたと思います。毎月、誰のなんという作品のどこがよかっただの、どのコマはテヌキだの、どのコマはどの先生が助けにきて描いたに違いないだのと熱心に話し込んでましたからねー。 すみませんまた余分な話が長くなりました。 つまりマンガはそこまでいってたんですよ。『ポーの一族』や『風と木の詩』や『いちご物語』がすでにあった。わたしたちの、リアルな女子中学生高校生のいまの感覚にビシバシくる作品が、いっくらでもあった。なのに、小説は、まだそうではなかった。
そこに、あるとき、突然、燦然と輝くふたつの巨大新星が出現したのです。
以下次号。 原稿受取日 2004.3.21
公開日 2004.4.16 |