名台詞を通してはじめる読書もある。ライトノベルを中心に、作品の長所を追いかけて紹介していくサイトです。
 

「シリーズの背表紙に巻数が入っていないのは不親切」という問題について

もともとはウーパーさんの記事が発端。
書店の棚を幅広く占拠して居座り続ける『オーフェン』や『スレイヤーズ』って邪魔でしょうがない
どれを買えばいいの?(上記の表現が荒いことから書かれたマイルドバージョン。こっちの方が親しみやすいかも(笑 )

要するに背表紙に巻数表示が無いの不親切だよどうなってんの!って話ですね。
これを受けて、
シリーズの背表紙に巻数が入っていないのは不親切
といった考察がされてます。
巻数が重なって数字が大きくなると、読者が手を出し辛くなるからつけない、と考える業界の慣習が主な原因であると考えてほぼ間違いないしょう。

なお、
シリーズ小説なのにナンバーが付いていない理由?
では

”シリーズ小説にナンバーが付かないということは、「どの巻から読んだっていいよ」という作者や編集者の意図であり配慮なのです。”

と考察されてますが、一般小説ではその考えは妥当ですが、ライトノベルに限っては残念ながらそれはあてはまりません。少女小説最大手のコバルト文庫をお読みの方ならご存じかと思いますが、コバルトは平気で数十巻のシリーズが存在しますが、まともに巻数表記してるものがありません。
しかも話自体は思いっきり続編前提な作りになってるので途中から読んでも確実にわけがわからないまま終わるものがほとんどです。
まあうっかり途中の巻を間違えて買ってしまい、悔しいので1巻からそろえるという効果はあるかもしれませんが……あまり褒められたものではないですよね。

ちなみに1巻から順番を間違えないように買うだけなら極めて簡単。
1冊適当に最近刊行されたっぽい巻を手に取り、カバーの折り返し部分についてる既刊リストを見て、その並び順で買えばいいのです。

現状、読者としてとれる対策はこれが一番です。
本気でどうにかしたいと思ったら、この慣習に意義がないとアンケートか何かをとってデータを突きつけ、業界の重い腰を上げさせる必要があるでしょうね。

追記:
そういえば昔スーパーダッシュ文庫には既刊リストがなかったので、web上で運動を起こしたこともあったなあ……。今ではちゃんとリストも装備されてよかったよかった。

さらに追記:
Angel Heart Clubの11/30の雑記でこのような意見が。

背表紙に巻数表示(他巻数のナンバリング)がないのは、そこに必ず作家と編集者の意図がある。何の意図があるのかは、本人に聞いてみなければ判りませんが、意味もなく巻数を書かないということはあり得ません。仮に巻数を書かないことにちゃんと意図があるなら、それは尊重すべきであり、読者の都合を押しつけるのはよろしくないと思います。

私も機会があったら、関係者に直接巻数の話題について聞いてみようと思いますが、とりあえずそれは置いといて……ちょっと看過できないなと思ったのが最後の一文。
読者の都合を押しつけるのはよろしくないと思います。

これはちょっとおかしな話です。
巻数表示に作者や編集の意図がある、それはあり得ることで理解できます。しかしなぜ読者が書き手の意図を尊重しなければならないのでしょうか。一冊の本を読んで、どんな感想を持とうと(巻数表示のことも含めて)読者の自由というもので、いちいち作者の意図をくみ取る必要性はないのでは?
そもそも多くの読者が巻数表示がなくて不便だと感じているなら、本来それに応えるのが商業出版の大事な責務のはずなんですが……これについて先にも述べた通りデータ不足につき、これ以上の言及は控えます。

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from Design My Future on 月曜, 2006/11/27 - 01:57

実はですね。25日の夕方のニュースは、広域局とNHK分は全て録画しておいたのですよ。さっき確認しました。TOICAの部分だけ。

いつも読んでいます

いつも興味深く読ませて頂いています。
この問題については私も最近しみじみと感じる事になりました。実はしばらく個人的な事情でラノベ読みから遠ざかっていたのですが、いざ読むのを再開しようとすると、最後に読んだ巻の次の巻が分からない事に書店で気がつきました。実際にオーフェンのシリーズはそれが原因で脱落してしまいましたし、気になっていても手が出せないシリーズ(富士見ファンタジアのEME〜)とかあります。
どう考えても読者を減らす努力だとしか思えないのですが・・・まあ個人的に「1巻」に「1」の表示が無い事はまだ納得出来るのですけどね。